2019-04-30
「平成」から「令和」へと、、、時代が変わるこのタイミングで、アジラの創業ストーリーを残したいと思います。
株式会社アジラは、現在4期目(2019年4月現在)を終えようとしているAIスタートアップであり、画像・映像分野での機械学習モデルによって、社会課題の解決を志向する企業です。
特に「行動認識」分野においては3つの特許を取得しており、海外に向けたPCT出願中、さらにもう一件、最新技術を反映した特許を出願中です。
財務面においては創業以来、増収・増益・黒字経営を継続しており、創業期比で売上高は6倍、KPIとして重要視している一人当たりの売上高は3倍に拡大しています。
これはつまり、技術戦略によって知見やノウハウ、そして知的財産を着実に付加価値に変換することができている、と評価しています。
直近では、ABEJA SIX2019、第三回AI EXPO、AI/SUM 2019、Plug And Play Japan、ガートナー・カンファレンスなど、国内最高峰の場に展示・登壇させて頂き、知名度も徐々に向上しているのを肌で感じています。
もっと先の世界を早く見てみたい。メンバーみんながそんな想いを持っている企業です。
時は遡り、2013年10月、二人の男がベトナムの首都ハノイで出会いました。
東証一部上場のWebサービス企業で、事業部のシステム統括・SEMを担当していた木村大介(以下、木村)と、そのオフショア開発の委託先でチームのプロジェクトマネージャーをしていたグエン・タイン・ハイ(以下、ハイ)です。
意気投合したポイントは3つ。
というものです。
多重請負構造のなかでIT産業が労働集約型になっており、それが原因で国家全体の労働生産性がG7最下位から抜け出せない日本と、オフショア開発という労働集約型のITビジネス体系からいち早く脱却したいベトナム、その目的が一致したのです。
二人は、いつしかブラザーと呼び合う仲になり、心を通わせていきました。そして、お互いの理想の実現のために、起業を意識するようになるまでそんなに時間はかかりませんでした。
2014年1月、木村・ハイの二名と、同じチームでインターンをしていたハノイ工科大のTA氏を加えた三名は、創業の誓いをハノイの桃園にて執り行いました。
「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん。」
これぞ平成の桃園の誓いです。
誰が張飛かはさておき、三人の技術者はここにアジラを興したのでございます。
さらに一行は、ホアンキエム湖に移動します。
この湖には伝説があります。
15世紀、黎朝の初代皇帝はこの湖に眠っていた宝剣を手に、明(現・中国)を見事に撃退し、自国の民を守った、というストーリーです。
平和になったある日、湖畔を散歩していた皇帝の前に、湖の大亀が現れ、「平和になったので、持ち主である竜王に剣を返すように」と啓示され、剣を湖底に還した。それゆえに湖は「還剣(ホアン・キエム)」と呼ばれるようになったそうな。
そして、600年の時を経て、21世紀。
我々もその大亀(全長2メートル)にホアンキエム湖畔で出会ってしまったのです。大亀は湖面から顔を覗かせ、こちらを見ていました。それを目撃した湖畔の人々は狂喜し、我々も何とも言えない感動に震えたのです。TA氏は雄たけびを上げて、この幸運を祝しました。
奇しくも、アジラ創業を誓った日に、大亀にお目にかかれたことは、三人の心に強いインパクトとして消えることなく、その後何年も残り続けたのでした。
その二年後、その最後の個体が絶命し、絶滅してしまったことは残念でならないが、最後の力を振り絞って我々の前に出てきてくれたのかもしれない・・・。
The last individual, affectionately known to locals as "Cụ Rùa", meaning “great grandfather turtle” in Vietnamese, was reported dead on 19 January 2016.
(最後の個体は、愛情をこめて「Cu Rua(亀じいさま)」として地元の人に知られており、ベトナム語で「偉大なる祖父の亀」を意味し、2016年1月19日に死亡したと報告された。
いま思えば、我々が大亀(または竜王)から与えられた剣は、ディープラーニングという剣でした。創業前、データサイエンスチームとして様々な画像解析やデータ分析を行ってきた我々は、MNISTのデータセットと数行のDNNのサンプルコードに出会い、その凄まじい破壊力を目の当たりにしたのです。
もう直観的に分かりました。「あ、これはヤバい」と。
「これまでできなかったことができた」ことの凄さを、世界で一番最初に知るのは技術者に違いない、とそのとき気付きました。そして、テクノロジーの進化と、社会に与え得るであろう影響力をイメージして、これをコアにしてビジネスしていくことに決めたのでした。
一年後の2015年、アジラは東京とハノイで同時にスタートしました。
創業のタイミングで大きく資金調達をして、一気にスケールしていくスタートアップもありますが、我々はそうはしなかった。スモールスタートで始めた理由はいくつかあって、 まずは事業経営というものを知り、企業文化を定着させながら、ひとつひとつレベルアップし、スケールをかけるタイミングで一気に大きくさせる方針を選んだのです。
Appleだって、Googleだって、こんなアパートとかガレージから始まったはず。
一方で、月々生み出す利益を、すべて計算リソース(GPU)の確保に回さねばなりませんでした。ゆえに、他社のようにお洒落なオフィスで優雅に仕事をしたり、エントランスに自社のエムブレムを大きく掲げて、その前で腕組みをした写真を撮ったりすることはできませんでした。
ベトナム側の研究開発拠点は、アパートの一室を借り、木村はそこに住み、毎日遅くまで開発していましたが、ある日、警察から「外国人はオフィスに住んではいけない」と言われ、引っ越しを余儀なくされました。
一方、東京側のビジネス拠点は、GPUサーバ室も兼ねており、二人しか入れない小部屋からスタート。いくら冷却しても放熱し続けるGPUの熱と闘いながら、契約書をまとめるような創業フェーズを生きたのでした。
(この熱に対する想いが、後のFPGA実装に繋がる・・・とか)
アジラは2019年5月末に、この第四期をクローズする。
第四期は、シリーズAのエクイティファイナンスを実行し、R&D拠点をIT技術の集積地であるDuy TanストリートのVietA Towerに移し、ビジネス拠点をスタートアップが集う大手町に移し、CFOはじめ凄腕のメンバーにジョインしてもらった。
そして、6月から第五期に突入し、令和アジラが始まります。
あらゆる社会課題を解決できるという宝剣は、まだ竜王さんから借りたままです。
返還を啓示してくれる大亀様はもういないので、しばらくレンタル延滞させて頂いて、すべてが終わったら、この剣をホアンキエム湖に還しに行こうと思います。
株式会社アジラ
代表取締役
木村 大介